コイン・トスでソ連で2番目のジェット戦闘機となった【Yak-15フェザー】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第17回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

Yak-15フェザー。現在残っている唯一の完全な状態の機体。機首先端にジェット・エンジンの空気取入口があり、コックピット下にその排気口が、また、機首上側面には23mm機関砲の銃口部が見える。
第2次世界大戦末期、ドイツを中心にジェット機の実用化が推進され、そのドイツと連合国のイギリスが実戦に投入したが、なんといってもドイツはジェット機の図抜けた先進国であった。
すべての航空機は、優れた機体と優れたエンジンの両方なくしては造れない。このうち、優れた機体の設計と製造は比較的容易だが、優れたエンジンの製造には、高度な工業技術が求められる。
とはいえ、既知のレシプロ機ではなく最新のジェット機となると、機体ですらジェット・エンジンがもたらす高速をはじめとする、当時は未知だったジェット機ならではの新しい空力学特性に適した設計を行わねばならない。加えて、まだ手探りともいえたジェット・エンジンの開発には、しかるべき技術的蓄積が不可欠であった。
かような次第で、ジェット機の開発に遅れをとっていたソ連は、第2次世界大戦中にドイツのユンカース社が開発・製造した世界初の実用型軸流式ジェット・エンジン、ユモ004のコピーであるRD-10を生産。戦争終結間近の1945年4月初頭、ヤコブレフ設計局に対して、同エンジンを搭載するジェット戦闘機を急ぎ開発するように命じた。
ヤコブレフ設計局では、急ぎであることを考慮して、同設計局の成功作であるYak-3戦闘機のレシプロ・エンジンをジェット・エンジンに換装し、それを機首部分に吊り下げるデザインとしたYak-15フェザーを開発。なお、このジェット化に際しては、一部に小改修は加えられたが基本設計はYak-3のままであったため、本機はスウェーデンのサーブ21Rとともに、実用レシプロ戦闘機から実用ジェット戦闘機へと「変身」した世界で2例しかない成功例のひとつとなった。
実は同時期、ミグ設計局はMiG-9の開発を進めており、どちらが先にソ連初のジェット機として初飛行を飾るかを両設計局の代表者が決めた結果、MiG-9が先になったという経緯がある。なお一説では、このときコイン・トスで順番が決められたともいわれる。
こうして完成したYak-15だったが、戦闘機としては性能が不足していた。しかし当時のジェット機としては操縦がしやすかったことから、パイロットのレシプロ機からジェット機への転換訓練に用いられた。生産機数は約280機。