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アフターバーナーを初めて装備したアメリカ戦闘機【ヴォートF6Uパイレーツ】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第16回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        飛行中のヴォートF6Uパイレーツ。本機は艦上機として設計されたにもかかわらず、主翼折畳機構を備えていなかった。代わりに機首を大きく下げて機尾を持ち上げ、前の機体の機尾の下に後ろの機体の機首を入れて駐機面積を狭めることにより、スペースを稼ごうと考えられていた。

         アメリカは第2次世界大戦勃発前後の時期のジェット機の黎明期には、その将来性を見据える期間を設けた。しかし開戦後、ジェット機の未来の可能性が確認されると、ジェット機とジェット・エンジンの研究開発を一気に推進させる方針をとった。

         

         そのような動きの中で、海軍航空局はいくつもの航空機メーカーに対して、ジェット艦上戦闘機の要求性能を提示し、並行的な研究・開発を行わせた。これは、国内メーカーのジェット機の研究・開発を推進する意味合いも含まれた措置であった。

         

         ヴォート社は海軍機の名門であり、1944年12月にアメリカ海軍からジェット艦上戦闘機の研究・開発を発注された時期には、レシプロ艦上戦闘機F4Uコルセアの生産で手一杯の状況ではあったが、「時のジェット機」を手がけることは時流に乗り遅れないためにもメーカーとしては重要だった。

         

         ヴォート社では、このXF6Uにウェスティングハウス社がアメリカで初めて独自開発し、しかもドイツに次いで世界で2番目の実用軸流型ジェット・エンジンのJ30から発展したJ34に、同じくアメリカで初めて開発されたソーラーエアクラフト社のアフターバーナーを装着したものを搭載した。

         

         しかしこのアフターバーナーは使用前に数10秒程度の余熱が必要だったので、事前に予定した飛行時にしか使えず、空戦時や対地攻撃時の急機動に対応できなかったため、実用性はきわめて低かった。

         

         パイレーツの愛称を付与されたXF6Uは、1946年10月2日に初飛行した。しかしエンジン出力が低いのが致命的で、パタクセントリヴァー海軍航空基地の航空開発飛行中隊VX-3で20機を使って運用テストを実施したが、本機の実戦配備は認められないという結論が出た。

         

         ちなみにVX-3のパイロットたちは、パイレーツをそのずんぐりした側面形状から、よく似た「グラウンドホッグ(齧歯類のウッドチャックの別名)」の蔑称で呼んだという。

         

         なおパイレーツの生産機数は、試作機も含めて33機であった。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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