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【昭和の映画史】初めて集団殺陣という表現に挑んだ『浪人街』 満州事変へ向かう日本で反権力的な生き様を描く

■昭和初期に公開された時代劇は何を描いたか

 

 『浪人街』は昭和3(1928)に公開された時代劇で、その年のキネマ旬報ベスト1に選ばれた作品である。大ヒットしたので4作目まで制作された。以後も監督自身が3回リメークし、平成2年の1990年、黒木和雄が最後のリメークをしている。

 

 昭和3年は、2月に第一回の普通選挙(男性のみ)が行われた記念すべき年だ。5月には日本軍が山東省で国民政府軍と衝突し、6月には張作霖爆事件が起きた。日本は満州事変に向かって走り出す。これが昭和12(1937)の日中全面戦争につながり、結果として日米開戦の引き金になった。

 

 監督はマキノ雅弘。父親は日本映画の父、牧野省三である。兄のマキノ光雄も映画人で、昭和13(1938)には大陸に渡って満洲映画協会の理事になる。マキノ一家の足跡は戦前の日本映画の歩みそのものだ。

 

 『映画渡世 マキノ雅弘自伝』上下二巻は、昭和史としても面白く読める。さらに抜群に面白いのが、叔父のマキノ光雄が出てくる『幻のキネマ満映 甘粕正彦と活動屋群像』(平凡社ライブラリー)である。

 

 甘粕と言えば、関東大震災後の混乱の中、アナーキスト大杉栄と伊藤野枝を虐殺し、古井戸に放り込んだ甘粕事件で有名だ。この事件の詳細については諸説あるが、ここでは立ち入らない。

 

 甘粕は4年の服役後にフランスへ渡り、次に満州に渡った。満州では満鉄の主任になる一方、特務機関で謀略活動に従事し、清朝最後の皇帝・愛親覚羅溥儀の逃亡に関わり、その功績で満州国の高官になる。そして何と、満州映画協会の第二代理事長になったのである。

 

 甘粕は有名だったし、満映の映画人たちは戦々恐々で新理事長を迎えた。しかし、現れた甘粕は意外なほど無愛想で地味で、現場には口を出さなかったらしい。そしてポツダム宣言受諾前に敗戦を覚悟、全社員と集団自決を目論んだが、関係者の必死の説得で諦める。

 

 しかし「必ず死ぬ」と自決を公言、見張っていた関係者の目を盗んで20日に服毒自殺を遂げた。作家・赤川次郎の父親でプロデューサーだった赤川孝一などが、その場に居合わせた。

 

 マキノが満州へ行ったのは、日本国内で自由に映画が作れなくなっていたからだ。同じ理由で、何人もの映画人が満映に入ってきた。満映のみならず満州全体に、国内に居場所を見つけられなくなった文化人が流れてきたのである。満洲にはこういう側面もあった。

 

 『浪人街』はマキノ雅弘20歳の時の作品で、若さの勢いがみなぎっている。舞台は江戸時代、下町のはずれ。浪人たちが吹き溜まる、一膳めし屋と呼ばれる大衆食堂である。

 

 彼らは「はみ出し者」、アウトローだ。『浪人街』は完全な娯楽作品なので、あまり深読みしない方がいいかもしれない。だがこの当時、時代劇は密かに体制批判を込められる分野だった。股旅物というジャンルも誕生した。

 

 映画評論家の四方田犬彦はこう書いている。「股旅物は、次第に険悪さに向かおうという時代の中にあって、ニヒリズムに留まることで共同体の呪縛から逃れようとする、巧妙な手段のように思われた」(「日本映画史100年」)

 

 こういう視点から見ると『浪人街』は、鬱屈した浪人たちの反権力的生き様を力強く描いたという見方ができる。物語の冒頭、一膳めし屋「まる太」で、用心棒の赤牛弥五右衛門と新顔の荒牧源内が支払いをめぐって対立し、睨み合っている。そこに母衣権兵衛が仲裁に入る。彼らはみんな飲んだくれだ。仕官を夢見ているが叶わない。

 

 その頃、街で身を売る夜鷹が次々に斬られる事件が起きていた。用心棒の赤牛は顔を白塗りにして夜鷹に紛し、襲ってきた侍を斬り殺す。しかし、それでも夜鷹斬りは止まらなかった。さらに翌朝、一膳めし屋の主人が遺体になって発見される。皆でそれを囲んでいる時に、旗本の小幡七郎右衛門らが現れるのである。

 

 数日後、かつて源内の愛人であったお新が、小幡らを誘き寄せようと画策するも、逆に捉えられて処刑されることになる。そこで源内はお新を救出すべく、全身に十数本の刀をくくりつけて小幡らのところへ向かう。

 

 一党120人を相手に、一人で奮闘する源内。さすがに危機的状況に陥るが、お新に密かに心を寄せる母衣権兵衛が白装束で、 孫左衛門もせっかく得た士官のチャンスを捨てて駆けつける。かくして、三浪人対旗本たちの壮絶な闘いとなる。

 

 実は小幡らに買収されていた用心棒の赤牛は、その様子をじっと見ていた。しかし最後は、旗本の小幡を道連れに自決するのである。こうして長屋に平和が戻り、源内はおしんを連れて旅立つのだった。

 

 ラスト17分の壮絶な斬り合いは、後世に語り継がれる名場面となった。一対一が基本だった時代劇に、いわゆるチャンバラを登場させ、それを様式美にまで高めたのである。その表現力の高さと観客の熱狂ぶりが、キネマ旬報ベスト1という評価に表れている。

 

 制作は、父の省三が経営していたマキノプロダクション。内部の紛糾で大スターたちが退社したため、無名の若手俳優たちによる群像劇となった。食い詰めて、武士道からも忠義からも弾き出された貧しい浪人たちが、仲間が傷つけられたことに憤慨し、愛する女性が危機に瀕しているのを救うために命を懸ける。秩序の中に安定した居場所を得ている旗本たちを相手に。

 

 大義によって、私的な人間関係がズタズタに引き裂かれる時代が近づいている時、こういう物語を描いた20歳のマキノ雅弘の鋭い感覚が、『浪人街』を歴史に名をとどめる名作にした。

 

 1990年、久々にリメークされた時、私は大いに期待した。何しろ俳優がいい。荒牧源内は原田芳雄、赤牛弥五右衛門は勝新太郎、土居孫左衛門は田中邦衛、母衣権兵衛が石橋蓮司、お新は樋口可南子。小幡七郎右衛門が中尾彬、そのほか佐藤慶、長門裕之という豪華メンバーだ。

 

 しかし、出来上がった作品は、黒木監督のヒューマニズムが展開を重くした上に、ラストの斬り合いも拍子抜けになってしまった。監督の作風とテーマが合わなかったのである。

 

 時代劇は、日本が世界に出せる唯一のアクション表現である。日本映画界は自信を持って時代劇を作るべきだ。それも勢いのある時代劇を。11月に公開された『十一人の賊軍』は、そういう点で久々の快作だった。

イメージ/イラストAC

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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